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歌川広重の
木曽街道六十九次
歌川広重とは Hirosige Utagawa
歌川広重は江戸時代の浮世絵師。
完成9(1797)年、定火消同心・安藤源左衛門の子として生まれました。文化6(1809)年に両親を亡くし、八代洲河岸の定火消屋敷の家督を継ぎます。元来絵を得意とした広重は、その2年後、当時人気を博した歌川豊広に師事。抒情性のある風景版画を手掛けた豊広の画風を学び、文化9(1812)年に歌川広重の名を受けることになります。歌川派としては約20年鳴かず飛ばずの時を経て、滑稽本「東海道中膝栗毛」の大ヒットやお伊勢参り・寺を詣でる旅が流行り、天保4(1833)年に江戸と京都を結ぶ「東海道五十三次」はそのブームに乗り一躍脚光を浴びたのです。
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